053.自由民権運動

「西南戦争」の後、「藩閥政治」への批判をおこない、国民が政治に参加する権利を得るための運動がさかんになりました。これを( 自由民権運動 )といいます。

藩閥政治

  • 一部の藩の出身者によって政治の実権がにぎられている状態は「藩閥政治」とよばれます。
  • 「薩摩藩」と「長州藩」は同盟を結び、旧幕府軍との戦いで中心的な役割を果たしました。このため、明治時代の新政府ではこれらの藩の出身者が政治の実権をにぎりました。

征韓論

  • 「征韓論」とは、朝鮮国に対して武力で開国をせまる主張です。
  • そのために、使節の派遣を主張していたのは、「西郷隆盛」や「板垣退助」などです。
  • これに対して、「岩倉具視」や「大久保利通」は、国内を整備するほうが優先であると考えて反対しました。
  • 西郷隆盛や板垣退助は政府を去りました。

民撰議院設立の建白書

  • 1874年、「板垣退助」は、「民撰議院設立の建白書」を提出し、国民が選んだ議員でつくる国会を開くことを求めました。

西南戦争

  • 1877年、「西郷隆盛」を中心として「鹿児島」の士族などが「西南戦争」をおこしました。
  • この後、「藩閥政治」への批判は、言論を中心とするものになりました。
  • これを「自由民権運動」といいます。

国会開設の勅諭

  • 1881年、政府は、民権派の要求に対して、10年後に国会を開くことを約束しました。
  • 「板垣退助」は「自由党」を結成しました。
  • 「大隈重信」は「立憲改進党」を結成しました。

伊藤博文