034.承久の乱

1221年に、朝廷の勢力を回復するために、「後鳥羽上皇」は幕府をたおそうとして兵をあげました。この戦いでは幕府側が勝ち、上皇は「隠岐」に流されました。この戦いを( 承久の乱 )といいます。

  • 幕府は、上皇側についた公家や西国の武士の土地を取り上げ、「御家人」に土地を恩賞としてあたえました。
  • 幕府は京都に「六波羅探題」を置いて「朝廷」を監視させました。
  • これによって、幕府の「西国」に対する支配が強化しました。

御成敗式目